第48章 はなが人を噛んだ!!

 
 

アメリカ行きの12時間の飛行機の中今回の一連の騒動を考えてみた。

よく考えてみると事の発端は「はなが人を噛んだ」ことではなく、私が「はなを処分する」と書いたことだと思う。

私の発言によりたくさんの人からメールを頂いた。「処分って??」私の思っていることに賛否の両方のご意見を貰った。 私の処分発言より掲示板にはなのブリーダーまで登場し話しは有らぬ方向に流れ出した。

どんな風に言われても私は自分の経験から来る判断を信じて行動するしかできない。私には一緒に解決する策を模索してくれる人が必要だった。ブリーダーの言ったような強い口調で意見し私からはなを取り上げるのも、自分の犬たちの宣伝も要らなかった。

はなのブリーダーだからと言って「私にはなを任せろ」と言うのならその前にゆみちんに一言「nojiもしっかりしつけ直すから、nojiとはなを信じて今回は許してやってください」と一緒にあやまって欲しかった。

それだけが”自分がはなのブリーダー”と言う彼女が私に残した印象だった。

 

流れ出した事態に当事者の噛んだはなと噛まれたゆみちんは取り残され私の発言のみがすべてをリードしていたようだった。

私は安楽死させなければいけないほどはながひどい暴れ方をして噛み付いたとは思ってはいない。今も暴れて手が付けられない訳ではない。見境がなくなり飼い主の私まで噛んだ訳でもない。私はあの一件はいろいろなことが重なった事故だと思っている。はなを知っている人も驚いたことだったと思う。しかし、私の口からはなを殺す話が出たので騒ぎが大きくなってしまった。

私は今もその発言を撤回するつもりもまったくない「だめならはなを処分する気でトレーニングし直す」には変わらない。私は動物病院で働いていた頃安楽死を補助したことがある。あのシーンは10年以上経つ今でもすべて鮮明にすべて感触を伴い覚えている。私ははなを処分するなら自分ですると書いた。同じようにはなの首元から致死量の麻酔を注入し、あの時と同じようにはなは大きな息を1つ付いて息を引き取る。

私には到底そんなことはできない。それをしなくていい道は はなと離れて暮らしトレーニングし直すことである・・・・なんて簡単なことなんだろうか。

 

私はほんの少しの経験ではあるが犬を飼ってきている。今までの飼ってきた犬の中で人を噛んだ犬が1頭いた。オスの紀州犬だった。彼は家を守る気持ちが強く、特に家族が家を空けているときは誰も家に寄せ付けなかった。誰も門に触ることすら許さなかった。門を閉め彼を放して家族で出かけた時、犬好きな人が彼を触ろうとして門の中に手を入れた。家族が帰宅したとき噛まれた人が「手を入れた私が悪かったんですが・・・」とたずねてきた。両親はひたすら頭を下げ続けた。

私は中学生だったが「留守番している犬がいるのに手を入れたら噛まれるの、そんなのあたり前じゃん。巌(がん)は悪くないよ、あやまらないでよ!」といい続けた。今はその両親の行動がとてもよく理解できる。

 

数々の飼い犬が人を噛んだという話の中で飼い主が犬への擁護の言葉を並べるのは私の考えに反する。どんな場合でも犬は人を攻撃しても噛んでもいけない、彼らの方が強い牙を持っているのだから。犬は人に牙をむけてはいけない、向けてしまったら理由がどうであれ謝り続ける、それが飼い主の正しい姿だと思う。

それにもまして今回のはなは120%悪い=私が悪い=誤り続ける、トレーニングし直すことを約束する、2度起こしたら本当に殺すと約束する。

そう信じている私が書いている文章なので私にはしごく当たり前の流れにしか読めない。

「はなを殺さないで」のありがたい意見も多数頂いたが・・・・申し訳ないが「はなを殺したくない」のは世界で一番私が思っている。殺したくないに決まっている。

でも私は飼い主の責任と反省の意味を込めはなを処分するのも覚悟で最大の努力をする。ああ、やっぱり同じ事を書いてしまっている。

 

現在はなは一生懸命私との絆をたどり直している。