私は犬や猫は必ず死ぬもの、必ず先に行くこのだと思っている。りきまるだってはなだってサラだって優だってそうだ。その時をいかに迎えてさせてやることに終始すると思っている。
いずれやってくる知り合いの犬たち、知り合いのマラミュートたちの死を予想していたが、りきまるの術後の様子を聞いて、りきまるが一番に逝ってしまうこと・・・・、
この現実に私は動揺していた。
私は常に起ってしまった事実をありのまま、そのまま受け止めようとすること、これを信条としていた・・・なのに・・・りきまるが死んでしまうということ・・・
なぜそうなったのか!
なぜ気が付かなかったのか!
原因はなんだったのか!
いろいろな思いが私の中を巡った。
りきまるは自分の犬ではないのだが、その言いようのないやり場のない怒りをりき母に向けてしまいそうになっていた。
しかし、渦中にあったりき母、りき父は数字では表されないほど何倍もその思いに押しやられているとに私は気が付いた。そしてその答えが分からないまま、りき母たちはりきまるという大きな存在を失うことになる現実に気が付いた。
飼い主でない私がこれだけ思い、りきまるを失う恐怖を感じているのにりき父りき母がもっともっと感じている。7年間家族だったものに対して私には想像もできない気持ちでいる。それに気が付いた。
これから先、りき家に起こる事・・・りき母の心のサポートができたらと思っていた。
私がこのページを立ち上げたときに「ページ作りました。リンクしてください。」とお願いメールを送ったのが昨日のことのようだ。
あれから私のページ掲載内容に問題があれば速攻で指摘して、掲示板で騒ぎが起れば常にりき母が収拾してくれ、助けられてきた・・・
りきまる、りき母に巡り合わなかったらサラも優もいなかっただろう。今もどこか知らない土地をはなと二人で野宿の旅を続けているだけだったろう。
私たちがネットに存在するのもりきまるとりき母のおかげだった。
はなと2人きりの野宿旅行もりきまるの家を目指すようになり・・・私たちが北海道を1ヶ月ブラブラした時、私たちはりき母の家を毎週訪ねていた。私たちの楽しかった時間には常にりきまるとりき家がいっしょだった。
あれもこれもりきまるが繋いでくれた縁だった。
私は短い動物病院での経験の中で私が病院で看取ることに常に申し訳ない気持ちを抱いていた。
この犬や猫を本当に愛して、慈しんできた人の胸で逝くべきだと思っていた。
りきまるは術後おしっこが出ていなかった。術中、術後に入れられた点滴のことを思うと腎臓が働いていないと思われた。
腎臓の復活をみんながひたすら待った。
しかし、病状は好転せず、りき母から「よくならないなら家に連れて帰ろうと思う」と言われたとき 私は「そうした方がいいと思います。」と即答した。
私がず〜っと思っていた家で犬を看取る・・・りきまるの匂いがするりきまるの庭でゆっくり休ませてと思いそれが一番だと思った。
しかし、獣医さんから言われた帰宅後起こると思われるりきまるの症状は痙攣に昏睡・・・
私はそれがりき父りき母に絶えられるものなのだろうか・・・病院で飼い主にそういうシーンを見せないのも飼い主への優しさなのではないだろうかと思った。
自分の中の基準が分からなくなっていた。
りき母にかける声は大丈夫ですか?だけになっていた。
そりゃそうだった・・・本当に力になることなんかできない、その人の心配や悲しみはその人だけのもので・・・サポートなんかできるわけないことだった。
家に帰ったりきまるの写真は子犬のような穏やかな顔でりきまるには安心できる場所の方がいいんだとりきまるが表していた。
私に聞こえてくるたくさんのりきまるへのエール・・・・りきまるのことを知り自分たちの犬への再点検をする人たちも多かった・・・衝撃は大きかった・・・りきまるがみんなに愛される犬だったことは間違いない。
そして。。。腎不全になってから10日以上生きたりきまるには野生・生命力を感じた。
りき母りき父、ご苦労様でした。本当にありがとうございました。
りきまる、最期ちょっときつかったけどもう苦しまないね、お疲れ様。どうだった?この世での7年間は? 今までありがとう、私が生きている間はあなたのことは忘れない。
これは誰になんと言われようと私は言い続ける。
犬は絶対に太らせてはいけない。いい要素は何1つない。
塩分を処理できない犬に一口でも人間の餌を与えてはいけない。一口でも。
病院で定期的に各臓器の動きを見てもらって・・・最大の防衛を犬のためにしてやってほしい。
彼らは調子悪いの私たちには伝えてこないから・・・飼い主は気が付けない。
りきまるがりき家に与えたたくさんの喜びとたくさんの幸せ、そこから私が貰ったたくさんの幸せ。私は彼に感謝して止まない。