第38章 noji的はなの考察

 
 

犬が好き?はなが好き?自分が好き?

今回ははなが妊娠している可能性があるのとはなの”noji離れ”のことを考えいつもの一人野宿旅をした。

 

私は時々頭がおかしいのではないかと思う。一般から見ればかなりおかしいはずだ。

 

女の一人暮しに犬を飼う。最近世の中に増えてきているこのパターンに人々はいろいろなことを言う。

「寂しい人」 「人とコミュニケーションできない」 「カタワ」

私はどれもピンとこない・・・寂しいから犬を飼っている?違うよなァ・・・

今回の旅はこれを考えてみようと思った。時間は山のようにある。

 

 

今までは一人で出かけていた野宿旅もはなが来てからは2人出でかけていた。今回ははなをおいてきた。一人で旅をしているとはなを連れての旅とは違い犬の生活習慣を考えずに気楽だが・・・何か足りない。

一体彼女は私にとってどんなパワーを持っているのだろうか。

一人で旅をしていると誰とも話さない日があったり自分との闘いが始まる。時々恐ろしい孤独感や恐怖に襲われ、それを越えると楽しみがやってきて、また同じ闘いの状態になる。こんな感じで旅は続くのだか はなと一緒の時はマイナスのことは何一つない。すべて100%楽しいだけである。

私は はなのことを相棒と呼ぶ。まさにそれにふさわしい状態である。

はなは100%、一ビットも引くことなく私を愛している。はなは私と一緒に居るためならどんなことでも我慢する。ただひたすら私のことだけを考えている。はなからの気持ちは日々痛いほど理解している。問題は・・・

 

私は はなをどう思っているのだろうか?はなに何を求めているのだろうか?

 

私の人生のテーマは”愛”と”夢”である。人生をかけて”真実の愛”を探しているのだが はなの私に対する愛は”真実”なのだろうか?私は真実の愛ではなを愛しているのだろうか?

尾崎豊が言った。

「自分を愛するように誰かを愛せるのだろうか?」

愛せるのだろうか?

自己愛に勝る他人に向かった愛を見つけられずにここまできてしまっている私だが、経験上自己愛に勝る愛は存在しない。

犬が飼い主を求める気持ちはある意味”真実”と言えるのだろう。はなの私に対する気持ちは過去飼ってきた犬の中で一番強い。はなは自分より私が好きとも思えないがひたむきな彼女の愛は常に私の胸をつぶす。

私はそのはなの気持ちを利用して日々の情緒を安定させている。

 

この犬からの純真な愛を味わってしまうと人間の愛、自己愛に次ぐ愛がうそに見えてきてしまう。はなが私を愛している気持ちはどの男性からの気持ちにもかなわない。私がはなを愛している気持ちはどの男性への気持ちもかなわない。

なぜか・・・

 

ああぁぁ。ここらで止めておこう。やっぱり頭がおかしいらしい。この旅で分かったのは 「今度の旅は絶対はなと出かけよう!」ということである。

 

 

はな、今度は四国のお寺の林の中で二人きりで過ごそうね。うひ。