番外編〜ミャンマー〜

 
 

ミャンマー

2月7日〜14日までビルマで戦死した祖父の慰霊祭参加のためにミャンマーへ出かけた。

戦後世代の代表のような私だが、祖父の戦死もあり、私は結構戦争については目を向けていたほうである。しかし、祖父の戦友たちの話を聞いてまだ私たちの耳に届いていないことのほうが多いように感じた。

日本兵がどうこの国で暮らしたのかは事実として語られるが、本当の気持ちは言葉があまりにも軽く表現されてこない。

この戦争ごと風化させてしまうのも一つの方法かとも思うが、戦友、遺族が今もなお戦争の中に暮らしているのを見るとさぞ無念であろうとしか言い表せない。

泰国問題も「軍国化の再来」に繋がると中国が言えば、そう言われるのはのは内政干渉だ、ほっとけ!ぐらいにしか思わなかったが、生きたままウジに食われて死んでいった戦死者や、大切な子供を取られた遺族の気持ちを考えると公式参拝であろうと、私的参拝であろうと死んだ魂を慰めるのがそんなに悪いことなのだろうかと、改めて考えさせられる。

…もし、私が戦争に行って死んだとする。死んだ後に戦争参加者として非難の対象になる。やりきれない、遺族の人たちも生きて同じ目に会う。戦友たちも、戦死者の辱めを受けないために自決までして守ったプライドを悪く言われる。対外的ではなく個々の気持ちをくんでほしい。心からそう感じた。

ベトナム戦争のときのアメリカ兵へや遺族への心のケアはもっと、進んでいたので、そのやりきれなさは表に出てきた。今もなお、戦死者と共に生きている戦争経験者、遺族、彼らにもその機会を与えてほしい。

このページの趣旨とかけ離れてしまうのでここらでやめておいて…

ミャンマーの犬事情…

自給自足の形態を残しているミャンマーでの暮らしは犬も猫も鶏も牛も人も生活共同体で『愛玩』の対象ではない。人々が犬の頭をなでたり、一緒に遊んだりしているのを見ることはなく、町の中のいたるところで見かける犬たちは実に悠々としていた。

お寺の床は大理石だったり、石畳だったりで冷たくて気持ちが良い

ヤンゴンのあたりは1年中30度を越えるので犬の毛はほとんど生えていないように見える。夜は20度前後に気温は下がるの夜行動する。昼間は涼しい日陰でもっぱら寝ている。

暑いので。。昼間は寝る。

北に上がると深い体毛も見られる。計画出産など存在しないので子犬もたくさん見られる。自然繁殖の自然淘汰なので生き残っている犬はたくましい。ミャンマーはイギリスの植民地時代があるのでルーツはなんだろうと犬の顔を見ていると、体はラブラドル、顔はちょっとテリア系かなあという気がしてくる。

犬は犬や猫にえさをやる光景を見ることはなく、残飯をもらっているようであった。人間の残飯を片付け、犬や猫にが人と寄り添って暮らす生活はなぜか納得させられるものがあった。

友達になったジンジン13才

ミャンマーの子供たちの笑顔、動物たちの暮らし、日本は物質的には豊かに見えるが、あの笑顔、暮らしはここにはない。物であふれたローマのように滅びてしまいうのだろうか・・。