夏の稚内犬橇大会 2

 
 

 

夏の稚内犬橇大会 2

2002年8月4日(日)

 

おばあちゃん、シーザー・・・3頭揃うと誰が誰だか・・・^^;

朝4時はなに叩き起こされ、犬を出しているともう一台ハスキー2頭マラミュート1頭連れた野宿の車を見かけた。東京の町田から来ているご夫婦だった。明らかにどこかで橇の大会があるなっていう感じだった。

大会会場に到着、犬たちに水を飲ませたり準備をしていると一人のご老婦人が話し掛けてきた。

彼女は私が名古屋から一人で来ていることに感動され、2人で相当盛り上がってしまった。先日焼失した商店街にも案内してもらい現場を確認した。あれだけで済んだのが不思議なほど密集しているところの一角だけが焼け落ちて何もなかった。

「稚内は昔は活気のある待ちだったんだよ〜。200海里問題でさびれちゃったねぇ」
200海里問題。当時私はいくつだっただろうか・・・小学生だったと思う・・・そのときは「200海里行った所に島作ればいいのに」なんて思っていたのを思い出した。

当時の私にはあまりにも遠い場所の話だった。当時は30雙もあった船も今は6〜8雙になっているらしい、私にはその差がピンとこなかったがご婦人の表情で何かわかった気がした。

「応援しているからね!!」と去っていかれた。

いかん、犬の世話世話・・・・と世話を始めようとしているところで「あなた、どこから?」と大会スタッフから話かけられた。

「名古屋からです」
「あなたが野島康子さんね!遠かったでしょう!!」
「はい、、、めちゃめちゃ遠かったです。
犬1歳でまだちゃんと走れないのに来ちゃいました。
だって今年最後って聞いたから・・・」
「そうだねぇ。3・4歳にならないと度胸も据わってこないし仕方ないね」
「私が前を走ります(^^ゞ」

受け付けを済ませ、サラはなで2頭引きをしようと当日申し込みもした。

そこでも「野島さんですか?」と話し掛けられた。
「はい・・・?」
「私の友達マラミュートを飼ってて・・・稚内へ仕事へ行くって言ってて・・・『知ってる!今年で最後の大会なんでしょう』って言われて『何でそんなこと知ってるの?!』と聞いたら野島さんって人が名古屋から行くって・・・」

「マジですか!?」コモズさんのお友達の方だった。

私の中でのコモズチームは大会とかには遠いチームでそのコモズさんの名前が稚内で出てくるのには相当驚いた。

氷が運ばれてコースが出来上がってくる
こりゃ、お金かかるわ。

私は常に大会会場でいっぱいいっぱいになってしまうので速攻で犬たちだけにハーネスをつけた。そんなこんなをしていると「のじまさぁん!ちょっとぉ!」と呼ばれ「選手宣誓」をお願いされた。

速くて注目されるのではなく、遠くから来たから注目される。。。のは、だれでもできること。早く私が北海道の大会に参加しても「ああ、またか」とめずらしがられないようになりたい。

選手宣誓まで10分・・・引き受けてからパニック!アタフタしているとみんなが「書いたほうがいいよ!」と紙とペンで考えていると・・・

ビス父、神尾三郎、kazu夫人
「遠路はるばる名古屋から来ましたって言えば?」
「宴たけなわに失礼しますとか?」
「来年も来たいと思います!ってないってーの!って言っちゃえ!!」

とにかく好き勝手にはしゃいでいた。私は真剣にもう誰も信じない・・・と一人でこもって考えた。

 

大会開会式で無事それも済ませて・・・・一番のサラの出番を待った。ちょっと前からスタートに並びサラに思い出させようとした。最近はハーネスもつけないし3・2・1・GOもかけていない。どうかなぁ。。。。

サラの順番になりスタートに入るときサラは過去にない恐怖でキャンキャン言ったそれはまるでこの先に行ったら殺されるかのように・・・・私はこの犬が動物病院の扉をまたぐのに激しい抵抗を見せてても「ほら!入ろう!」と言えば簡単に気分を変え、うれしそうにそのまま診察台に尻尾を振りながら飛び乗れる犬と知っていたので引きずってスタート時点に立たせた。

スタートにいる男の人も怖いし、尻尾を丸め座り込んでいた。3・2・1・GO!!で尻尾を上げて走り出した。ふふふ。

 

しかし、サラはザクザクの氷と回りからのサラがんばれ〜〜〜〜〜に戸惑って途中からは散歩モードになっていた。まあ良しとしよう。ゴール後、商店街の人波の中をサラと戻っていた、見物人はちょっとづつサラに触ったりしていたがサラも気にすることなく歩きつづけた。

その間、ものすごいスピードでビス父とエルフが走り抜けていった。相変わらず速い。

その後、サムだった・・・アナウンスの人は「大きいですねぇ!アラスカンマラミュート、大型犬です!」「あ、その前のサラ号もマラミュートでした。」というのが聞こえてきた。ほほほ。

デリカが走った。カウント入る前の興奮の仕方は凄いものがあり、3・2・1・GO!で最初はビス父の方を振り返っていたが、スイッチ入り走り出した。サムともグレイとも違う走り方をしている。

次は優・・・心配していた優だが、なんのことなく1頭だけでスタートラインに立てた。観客の声に困った顔で振り返ってスタートもできなかったが、優の進歩も私には満足行くものだった。

最後はシーザー、はなたちと同様、マイペースで走った。マラミュートのメスはこうなのか?へへ。

 

午後は2頭引きに出た。

みやぐっちの余裕のガッツポーズ!

神尾三郎の犬はうちの犬以上に怖がり・・・
周りにこんなに人がいるよ〜〜(T_T)と走り去った。

優勝!

kazuゴロウ、はなと馴染むの図

稚内のお祭りのイベントの1つで・・・出走順は配られていてみんながマッシャーと犬の名前を知っていた。はなとサラでスタートに並んだ瞬間「野島さぁん!がんばってぇ!!」「はなぁ!」「サラぁ!」と子供たちの歓声が聞こえた。

はなはなんだカンだ言っても真面目に走ろうとするし、サラははながいれば問題なくスタートに立てる。3・2・1・GO!で普通に走り出した。

私は犬を見ていた、半分くらい行った所ではながもよおした。。。。。
「ああ、はなのトイレ何もしてなかった・・・」

私たちの走りを見てアナウンスの人が「ゆっくりですが、いい方ですよ〜〜〜!例年はうんちしてしまう犬もいるんですから」     
・・・・・・・・・・・・・・・・(-_-;)私のトラウマになりそうな、犬たちのうんこだった。

してもいいけど走りながらの橇犬スタイルでもなく、公衆の面前でうんちんぐスタイルは本当に恥ずかしい。

取りこぼし回収班


恒例!ガッツポーズ!!

 

ふふふ、ガッツポーズ愛好家が増えてきた。いいぞ!!

 

大会終了後、札幌に向かいkazuさんちに泊めてもらった。私の休養よりは犬たちを休ませるのが目的だった。kazu家に到着後、犬を出した。速攻でkazu家の庭には犬の死体3体。爆睡する犬たちがいた。特にはなは年末の事故から車の中で寝なくなっているので疲れ果てていた。1800kmの移動の後大会、またトンボ帰りで札幌。。。明日にはここから名古屋へ向かわないといけない。kazu家の宿泊は私たちの休息になった。(毎度、お世話になりました。)

2002年8月5日(月)

昼過ぎにkazu家を出た。

犬を出してある限り涼しい風にふかれて寝ているので、きりがない。出発することにした。函館まではだらだら走ってホゲホゲ休みながら行って5時間くらいだろうか・・・いつもの有珠山パーキングで記念写真も撮る。

免停寸前の私、超安全運転の車にはうじゃうじゃ隠れている警察も気にすることなく「私を捕まえたいならスピード違反じゃ無理だな、別件でな!」みたいな悪態をつきつつ南下した。

函館についたのは夜19時50分、次のフェリーは22時45分だった。待ち時間が相当あるので犬を出したかったが、これまた豪雨。ひたすら待っていた。しかし次の便はキャンセル待ちだった。犬を乗せているということを伝えるとギリギリにトラックルの間に乗せるのをフェリーの人に抵抗された。いつもどんな状態でも乗ってエンジン掛けっぱなしで渡るのだが、今回はフェリーの人に「次の便にしなさい」と説得されてしまう。はなたちのことを考えてのことだから時間よりも好意を受けた。真夜中の便にした。

行きと同じ、フェリーの3時間半が私の睡眠時間となる(-_-;) 

どんなときでも後ろのドアは私が守ります!byサラ

遠征初4頭記念写真・・・アイボ3台連れか?

 

2002年8月6日(火)

猛暑の名古屋へ18時間のドライブとなる。

曇っててももうだめ・・・at仙台

 

 

本当に稚内の大会は楽しかった。

仕事も犬への負担もいろいろ問題はあったが、本当に参加してよかったと思う。思い出してもじ〜んとくるものがある。ちっとも速くないし、まともに走れない犬をわざわざお金出してなんで北海道までに連れて行くのか?と疑問に思われる方もいるかもしれない。私自身もどべとりに海を渡るのに疑問を感じないわけではない・・・

しかし、私の中の何かがそうさせるので私はそれに従うだけである。

今回は真夏であり・・・サラたちは石川ギグから何も練習をしていない。走らせるのも無理な環境で暮らしている犬たちだということを考えて今回の結果は私自身は納得しているし彼女たちの心の成長も実感しているので、参加して本当によかったと思っている。

きっとこれからも北海道の大会に顔出すだろう。

速くないかもしれない、必要ないかもしれない・・・・でも私は犬たちとのこんな毎日が好きなだけである。ただ馬鹿なやつなだけである(^^ゞ