2003年6月。はなを避妊することにした。
はなの話にも書いたがはなを最後まで未避妊でいくことはないと思っていた。最初の発情から常に考えてきたテーマである。
避妊はメスの犬を飼う人たちの永遠のテーマとなる。するしないは飼い主さんの気持ちひとつである。
よく病気の予防に避妊しろと言う人もいる。しかし、これは私の経験上、避妊しなかった場合の発症は半々のような気がする。それとあわせて考えない方がいいと思う。
なぜ私がはなを避妊することにするか。
考えていることは2点。
アメリカのほとんどの州で繁殖しない犬=ペットは完全避妊去勢が義務つけられている。それはあまりにもきちんとされている。前提としていろいろなトラブルを回避でき一般家庭で犬を飼うモラルの向上につながっている。
私はそうだと思っているし、それが正解だと思っている。
はなは繁殖した犬だがもう年齢的に繁殖させない年になってきていた。
はなを繁殖させることはもうない=繁殖しない犬・・・自然に避妊することを考えた。
はなは避妊をして発情の時のいろいろなわずらわしいことから開放され、常に発情していないときのはなの状態で暮らしていくことができる。5才の今から彼女に新しい生活を送らせたいと思っている。
結果的には一年前に避妊してもよかったのかも知れないが、まあ遅くはなっていないだろう。
もう1点
私は今3頭の犬を飼っている。これからも増やしていく予定である。
健康な犬の管理にお金がかかっているのは本当なのだがこの体重の犬たちの治療はまだ未経験である。
もしこのままはなを避妊しないで飼い続け、子宮卵巣系での問題が出たとしよう。そのときはなはその治療に耐えられる年齢だろうか?そのときサラたちはどうなっているのだろうか?健康だろうか?そのとき私はどうだろうか?仕事をしているだろうか
?犬のことで心が押しつぶされているときに仕事ができるだろうか?精神的、金銭的に余裕のあるとき、そしてはなが最短の回復で済む健康なときに避妊をすることがはなやサラ優、私たちにとって一番の選択だと思っている。
母や他の言う「なんだかかわいそうね」という言葉に揺れることなく避妊のそこまでの決断はあっさりしたものだった。
それはきっと避妊去勢で飼われている犬たちのスマートさ、病気がひとつ出がときの悲惨さ辛さなど幼きころからの犬に強く感じてきた美学の上に立ってのことだからだろう。
手術をお願いしたのは私が3年働いていた森村動物病院だった。手伝ってくれてもいいよ、さすがにとの言葉にそれはできないなぁ。と思っていた。しかし、私がはなにしようとしていることを見ないで次サラたちにすることができるのだろうか?と私が
受け入れられなければしてはいけないことだと思った。入ろうと思った。何が起ころうとそこで起こるすべてを見て納得したかった。
はなを助手席に乗せ、病院までの道のり・・・助手席で前を見ているはなを見て、この犬といろいろなところへ行って、いろいろな人と出会い、いろいろなことで遊んだなぁと思い出していた。私ははなを常に頼って、はなに頼られ、常に困らされ、常に
遊び・・・この犬は楽しい忘れられない時間を5年も共有した犬だった。
はなに麻酔をかけ手術台へ運んだ直後、激しい痙攣が起こった。舌を噛まないよう抑えたとき、私の中にはなの死のイメージが入ってきた。
サラたちを残すとき「はな1頭では死んじゃったときさびしいから多頭飼いにしたらまぎれるかも?!」と決断したものだ。でもそれは完全に間違っていた。
3頭いたら3頭同じだけの辛さがあり、それが単に3回くるだけ・・・・
他の犬でまぎれるものではないと気がついた。
「調子乗ってバンバン犬増やしてるけど、私、全部耐えられるのかなぁ。」
そんなことはなのお腹を縫っている先生の手元を見ながら、ぼ〜っと考えていた。
現在はなは順調に回復している。はなが今後もスポーツドッグとして走れるよう最小の傷で済ませてくれたこと、取ることを躊躇していた私に足の血腫を取るのも薦めてくれたこと、森村先生には感謝感謝である。秋に向けて夏場はゆっくりはなのリハビリに時間を使おうと思っている。