nojiチームニューフェイスジョジョ登場!
a.k.a. JB
アラスカンハスキー、ジョジョは2006年7月20日に生まれた。
生まれたよ〜。とえりぴょんから連絡をもらっていた。おおーよかったねぇと返事をしていた。
その頃からはなの様子がおかしかったので、私はその子犬をいれるなど、全く全く、考えていなかった。こぼも怪我をしてそのケアに翻弄され、はなの元気を取り戻すことに一生懸命だった。
しかし、そのままはなは死んでしまい、そのバタバタの中でほっておかれたこぼは自然治癒していた。
はなが死んで、はなが私の全てのことへのモチベーションを持っていってしまった。それらのものを取り戻すべく、いろいろ考えていた。
私は何がしたかったんだろう、私は何をしてきたんだろう、私は何をしているんだろう・・・
たくさんの人たちとたくさんの楽しいことをしてきた。その中の1つがドッグスポーツだ。
今年の森町の大会で2ドッグのスタートで吉住さんが「野島さんです!夢はマラミュート6頭引きです!」と言ってくれ、そのMCに得意のガッツポーズで答えた。それを目指せるか??
犬が増えていくけど、ずーっと2頭引きでいくのか?2頭引き2回とか3回とか出るとのクラスの時間忙しいだろうなぁ・・・。6頭引きは無理としてもそれを目指せば4頭引きくらいできる時もくる?どちらにしても私は土日しか練習ができない、そんなので多頭引きのコースになんか出れる分けない。ボチボチ2頭引きだけでやればいいんじゃないか?夢と希望と現実をいろいろ考えていた。
「子犬たちどんな感じよ〜」とkazuさんに聞いたら、みんなこんな感じ。。。と送ってきた写真の中に1頭、ヤバイ!と思う子犬がいた。
kazuさん曰く、「1頭雰囲気が違うんだよね〜。ちょっと小さい。。。」・・・・いやぁ、ヤバい!とその写真は即削除してしまった。
2ヶ月が過ぎたころ、貰い手がまだ決まっていないということだったが、むらはしさんちには「kazu家アラスカンを入れろ!」kazu家には「村橋家にアラスカンを入れろ!」と双方に言っていた。むらはしさんたちが子犬を決めに行ったと聞いて、あの子犬が貰われて行くのをひそかに願っていた。
結果・・・残念。その子犬は残ってしまった。
アラスカンをnojiチームに入れる有益性は感じていた。多頭引きをするのに、nojiチームのトレーナーにアラスカンなどの何も考えずにまっすぐ走る犬種が欲しいと思っていた。しかし、アラスカンは速すぎるから、マラミュートと走らせるなという意見もいただいており、何か牧羊系の犬を入れようかとも考えていた。きっとそれは現実にはならなかったと思うが・・・。
そのアラスカンはまだ、子犬。今から一緒にトレーニングしたら、マラミュートとも一緒に走れると考えていた。サイズも小さいらしい。好都合である。子犬から、マラミュートの走りに慣れてもらい、長距離走る精神力をうちのメンバーにトレーニングしてもらう犬となりえる。そんな考えもチラっと脳裏を掠めていた。しかし、それもあくまで私が立てた仮説に過ぎない。日本のレースはスプリントのレースで、そもそもマラミュートの走る部類のものではない。それにアラスカンをつけようという前例のないことに対して失敗すれば両方の犬が潰れる。。。そんな不安もあった。
kazuさんやえりぴょんとは微妙な話し合いが続いていた。これは村橋家にアラスカンが行く経緯とも似ている。村橋家との折衝を見ててじれったい感じがしていた。それがそのまま私にも当てはまった。
私は欲しいと言い切れない、kazu家はどう?とも言い切れない。それは私の生活範囲や私のアラマたちの増加傾向や・・・その子犬に向ける期待や・・・お互いのことを熟知しているので、子犬を挟んでの三すくみになっていた。三すくみの結果、その子犬はもう北海道の三郎のところに行くと決まっていた。
10月の終わり・・・ブカのボスとかいさんとキャンプに行くことにしていた。。。その前日、村橋家で・・・何をしたのか覚えていないのだが、村橋家にkazu家と供に集まっていた。
なのに、Kazuさんは子犬を村橋家のところに連れてきていた。
いつものバカ話で夜9時まで何もなくすごした。
私の帰り際・・・kazuさんが「じゃ、パピにおしっこさせるわ」とその子犬を出してきた。。。もう諦めていた子犬登場に、私は「犬たちに馴染ませるなら、この週末のキャンプしかない!」と、なぜか・・・
「この犬貸して。」
車に積み込んでいた。「この犬貸して」の意味が分からない。1ヶ月以上だいぶがんばったのだが、最後の3分で崩れ、車に積み込んだ。
家に着くと、こぼたちが出迎えた。デカ犬たちの出迎えに子犬はもう弱パニック。子犬は小さく唸っていた。そういう時に問題がまったくないのがこぼだった。こぼを子犬と一緒にして遊ばせた。ここから、こぼはその子犬にとって、頼れるこぼ兄貴となった。そのままこぼと・・・子犬はゲージに入れて寝た。子犬は一晩ギャンギャン鳴いていた。
遊んでいるようには見えない??
名前はジョジョ。これはジョジョが生まれる前から、次の犬にはつけようと思っていた名前だった。
9月にはなが病気になり、はなに看病が必要になると見込み、仕事をセーブしていた。
そのころ始まったプロジェクトのリードを「できないから」といい、ほかの人に代わってもらっていた。しかし、代わって貰った人がうまく回せず、トラブルになりかかってていたので、その話しを携帯で仕事関係者としていた。
「わかりました。ジョジョ(徐々)に代わります。」
と返事をするとき、携帯の漢字変換が【徐々】とできず、ジョジョと書いた。
その返事が・・・「ジョジョって誰ですか?」
メールの先の人は私が誰かにあだ名を付けていると思ったようだ。
「ジョジョって人の名前じゃないです!徐々です!だんだんに、です!」
・・・・・・・ジョジョかぁ、かわいいなぁ。こんな経緯で次の犬はジョジョにすること決めていた。
次の日、キャンプ場にアラスカンの子犬を連れてきた私にブカのボスとかいさんは「あーあーやっちゃったね〜」って言って出迎えてくれた。
「大丈夫、借りてるだけだから・・・な、ジョジョ!」
ジョジョは一晩だけで私を認識して、私の後を付いて歩いた。。。
ここから私のアラスカンのイメージ一新が始まって行った。
無事キャンプも終了し、ジョジョと日常生活に入っていた。
三郎はその頃、カニクロの大会で韓国に行っていた。帰りを待って交渉しようとしたのだが、帰って来るなりの三郎のジョジョへの期待の気持ちを聞き、やっぱり三郎に渡すか・・・という気持ちになっていた。しかし、そんなモゾモゾしている私にkazuさんが私がジョジョを欲しがっていると話してくれ、三郎は即決
「子犬にとって親兄弟と一緒に練習できる環境があるのが一番だ!」
と言ってくれた。本当に感謝である。
これでジョジョは正式にnojiチームの一員となった。
ジョジョの加入に際し、私はkazuさんとえりぴょんにはいろいろなことを条件としていた。
マラミュートたちと走らせるから、兄弟との練習には参加させない。それによってジョジョの可能性を潰してしまうかもしれない。それは呑んで欲しいと。マラミュートを主軸にやっていくのは変らないから、トレーナーとして入れるジョジョの大会出場は考えていないから・・・と。
kazuさんとえりぴょんは「nojiチームに出した犬の扱いをどうこう言うつもりはない」ときっぱり言ってもらった。
今思えばマラミュートチームにアラスカンを入れるという一般には突拍子もないことをする自分へのけん制でもあったのかもしれない。
ジョジョは冬場でも室内が暑くていられないマラミュートたちの代わりに、室内犬のお役目をもらい家の中で過ごしている。トイレを1回で覚え、低い座卓での暮らしにも順応し、底抜けに明るいメゲないジョジョに、nojiチームのメンバーもジョジョを暖かく迎えている。
ここから、ジョジョ加入により、練習のレベルが1つ上がり、練習が本当に楽しくなっていった。
よろしく!ジョジョ!!